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2018年12月25日のはしわたし

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2018年12月25日のはしわたし

2018年12月26日
チュニジア紀行
 2018年11月に、2015年3月チュニジアの首都チュニスのバルド国立博物館で、外国人観光客が襲われたテロがあって以来3年半ぶりに再開されたチュニジア観光ツアーに参加してきました。
 チュニジアは、アラブ世界における民主化運動「アラブの春」の先駆けとなった、民衆蜂起から始まった「ジャスミン革命」でも有名です。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名されましたが、正確には「自由と尊厳の革命」と呼ぶようです。
1.エルジェム円形闘技場
 この円形闘技場は3世紀頃に造られ、約三分の一が壊されていますが、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されています。その規模は巨大で、周囲は400m、アリーナ(中央)の舞台の直径は65mもあり、観客動員数は3万5千人も入場できたそうです。この大きさは、ローマ・コロッセオ、イタリア・ヴェローナのものに次ぐ世界で三番目に大きな巨大円形闘技場(アンフィテアトルム)です。チュニジア国内では合計25か所に円形闘技場が造られましたが、国内で一番規模が大きいものです。(出典;www.チュニジア世界遺産.jp/pages/eljem.html)
 写真-1は円形闘技場の外観の一部で、写真-2は地下通路の一部でアーチ状の部屋には剣闘士、猛獣、死刑囚や奴隷が入れられていたそうです。
 この円形闘技場にはどこにもトイレらしいものが見当たらいので、現地ガイドに聞いてみるとないとの返答でした。当時、周辺にはオリーブの木が生い茂っていたそうですから、そこで用を足したのでしょうか。

写真-1 外観の一部 写真-2 地下通路の一部
2.カルタゴ遺跡
 チュニジアの北部、首都チュニスの北東約12kmの地中海岸に位置する古代都市遺跡です。カルタゴは、紀元前9世紀にフェニキア人によって建設され、海上交通の要衝として栄えましたが、ポエニ戦争でローマ軍に破れ町は破壊されました。しかし、ローマ時代にアフリカ準州の首都として再び大きく発展しました。現在フェニキア人の遺跡は僅かですが、ローマ時代の都市跡をはじめ当時の共同浴場、闘技場などの多くの遺跡が残されています。1979年世界文化遺産に登録されました。(出典;百科事典マイペディア)
 写真-3は遺跡外観の一部で、写真-4は排水溝の一部で、暗渠になっていて当時も排水のことをよく考えていたことがうかがえます。

写真-3 遺跡外観の一部 写真-4 排水溝の一部
3.チュニジアのマンホール蓋
 チュニジアの下水道事情はよく分かりませんが、普及率はかなり低いものと推察され、ちょっとしたホテルでもトイレットペーパーを流すことができないところも多くあるようです。幸い我々が宿泊したホテルは二か所とも流すことができましたが、浄化槽を備えていました。
 写真-5~8はチュニジア第3の都市スースで見かけたマンホール蓋です。

写真-5 マンホール蓋(1) 写真-6 マンホール蓋(2)
写真-7 マンホール蓋(3) 写真-8 マンホール蓋(4)
 写真-9~11は首都のチュニスで見かけたマンホール蓋ですが、スースで見かけたものと同じように見えます。ただ、写真のすべての蓋が下水道用かは分かりませんが。
写真-9 マンホール蓋(5) 写真-10 マンホール蓋(6)
写真-11 マンホール蓋(7)
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